サッカーのトレーニングがどんどん科学的、効率的にされている現代。 効率よくサッカー選手を作ろうと必死になることと、効率と利益を求めて世の中が殺伐としてきたことは同じことだと捉えると不思議と合点がいく。 立派な人間の定義に答えなど無いのかもしれませんが、人を育てるというというのは、子ども達に関わる大人の責任なのかもしれません。 家庭、学校、クラブ(指導者)がそれぞれ「教育、躾は、○○の仕事」と責任をなすり付け合っていては、子どもに関わる大人の責任を果たしていないのかもしれません。 知行合一。サッカー人としても人間としても、未熟な自分を内省させられる日々が続いています。がんばっていきましょう☆ 島嵜佑 |